和田平助 神社の神様 - 神社ファン

和田平助

わだへいすけ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング4751位

  • その他

江戸 [1625年~1683年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 和田平助とは?

    和田平助(1625-1683)は、江戸時代の剣士。父は和田道也(道勝)。代々甲斐の武田家に仕えていたが、父・道也の代に常陸へと移り住んだ。平助は幼いころから大志を抱き、剣術を朝比奈夢道に師事した。15歳の頃から諸国を渡り歩き剣術の修行をした後、田宮流居合立合派と称する流派を興して居合術中興の祖となった。徳川頼房、徳川光圀と2代にわたり仕えていて、光圀には特に寵愛を受けたといわれている。光圀の小姓、小納戸役、新廊下番などを歴任。1663年、39歳のときに父の隠居によって家督を継いで、大番頭300石と居合抜刀術師範役を兼務した。1681年、平助の息子・金五郎が21歳で急逝した。この死因について、金五郎に対する平助の異常なまでの苛烈な剣の修行が挙げられている。四六時中油断することを許さず、睡眠中にも突然打ち込むなどの試練に耐えかねた金五郎は、疾をおこして急逝したのだという。息子が亡き後、平助は気が触れてしまったようになり、悪事が目に余ったので役職を下ろされ左遷された。平助は自害し、幼い次男なども連座して処刑された。平助の墓石は人々が験を担いで欠片を持ち去っていたという。 茨城県水戸市開江町にある吉田神社の境内には、平助を主祭神として祀る速刀神社が鎮座している。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。