和田義盛
わだよしもり
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1527位
- 武人
平安~鎌倉 [1147年~1213年]
和田義盛とは?
和田義盛(1147-1213)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。初代侍所別当。父は杉本義宗、母は大庭景継の娘。源頼朝の挙兵に従った三浦氏の一族で、鎌倉に初期武家政権が出来た時に初代侍所別当に任命された。平家との合戦は長引き苦戦したが、源氏の軍が兵船の調達に成功すると平家を孤立させることが出来た。義盛は遠矢を射かけて二町三町も飛ばし、平家方を驚かせた。しかし平家方が強弓の名人を探し出して矢を射返し、怒った義盛は船に乗って大暴れしたという。平家滅亡後、頼朝と対立した義経が藤原泰衡に討たれた際は、義盛と梶原景時が首実検を行った。さらに奥州藤原氏討伐の際にも、泰衡の首実検を義盛が行った。その後、梶原景時の変や比企能員の変、畠山重忠の乱などにも参加した。この忠節に対して、義盛は上総国司になることを望んでいたが、御家人が受領することは認められず、さらに1213年の泉親衡の乱をきっかけとして、義盛は反北条派を誘い挙兵を決意。和田一族は意外な大軍となったので、義時らは将軍実朝の名で御教書を発した。これに多くの御家人が従った結果、和田一族は次々と討たれ、義盛も討たれた。享年67。 神奈川県三浦市初声町和田にある白旗神社では、義盛を祭神・白旗明神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
白旗神社
(神奈川県三浦市初声町和田1746)
