和気清麻呂
わけのきよまろ
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)

月岡芳年
祭神ランキング337位
- 公卿
平安 [733年~799年]
和気清麻呂とは?
和気清麻呂(733-799)は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族。父は磐梨別乎麻呂。765年、藤原仲麻呂の乱の功により叙勲、近衛将監に任ぜられ封戸50戸を与えられた。その頃、宇佐八幡神で「弓削道鏡を皇位に就かせると国は安泰である」と神託があった。称徳天皇はこれを確認するため、清麻呂を宇佐八幡宮へ派遣。清麻呂が宣命を読もうとすると拒まれ、再び顕現を願うと身の丈3丈の大神が出現、「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」と神託した。これを聞いた称徳天皇は怒り清麻呂を左遷、さらに別部穢麻呂と改名させ流罪とした。称徳天皇が崩御すると清麻呂は許され、豊前守で復帰した。清麻呂の配流中に祖先の墓の林が伐採されていたことを上表すると、美作備前両国の国造を任じられた。781年に桓武天皇が即位すると、一挙に四階昇進して重用された。庶務に熟達していた清麻呂はその後も民部卿、中宮大夫、造宮大夫などを歴任し建都事業に尽力、796年についに公卿に列した。799年、67歳で死去。 岡山県和気郡和気町にある和気神社では、広虫とともに清麻呂が主祭神として祀られている。御神徳は病気平癒、足の健康、厄除け、災難除け。配流先の鹿児島県霧島市にも和気神社が鎮座する。
ご神徳
病気平癒 足の健康 厄除け 災難除け
別称・異称
別部穢麻呂わけべきたなまろ
その他
護王大明神ごおうだいみょうじん
その他
