鈴木正三
すずきしょうさん
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし
祭神ランキング1527位
- 僧侶
江戸 [1579年~1655年]
鈴木正三とは?
鈴木正三(1579-1655)は、江戸時代初期の曹洞宗の僧侶、仮名草子作家。父は則定城城主・鈴木重次。正三は長男だったが家督を継がず、鈴木家は弟・重成が継いでいる。徳川家康と秀忠に仕えており、関ヶ原の戦いや大坂の陣にも参陣して功を挙げ、200石の旗本となった。その後文官の職にも就いたが、戦で培われた生死感や経典などで仏教へと傾倒していく。1620年に出家してからは江戸起雲寺の万安などに師事し、これ以降は禅僧として布教活動を行う。旗本の出家は禁止されていたが秀忠の恩情で罰せられることもなく、家も存続が許された。正三は諸国を渡り歩いた後、故郷の三河へ戻って石平山恩真寺を創建した。天草の代官となっていた弟・重成に頼まれ天草にも布教した。正三の「破切支丹」「盲安杖」「万民徳用」などは後世の仏教に多大なる影響を与えることとなった。「農業則仏行なり」と、人々が日常の中で世俗的な職業に励むこと自体が仏教修行であると説いている。弟・重成は天草の民への重税に抗議して切腹してしまうが、後を息子の重辰に継がせた上で正三が後見し、乱により荒れた天草の復興事業などにも尽力した。 天草市本町本にある鈴木神社は、重成や重辰とともに正三を主祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
鈴木重三すずきじゅうぞう
その他
