鈴木重成
すずきしげなり
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし
祭神ランキング1527位
- 幕臣(代官)
安土桃山~江戸 [1588年~1653年]
鈴木重成とは?
鈴木重成(1588-1653)は安土桃山時代~江戸時代前期にかけての人物。鈴木重次の子で、鈴木重辰らの親。仮名草子の作者・鈴木正三の弟。重成は三男だったが、2人の兄はどちらも別家していたため、1620年に家督を譲り受けている。徳川家康・秀忠を主君とし、大阪の陣にも従軍した。この時の功による200石と、家督継承による500石で計700石を知行している。1637年の島原の乱では、松平信綱に従い戦地入りして原城の攻撃に参加。一番乗りの武功を顕彰され、戦後は天草の代官に任じられている。当時の天草は、唐津藩主による過酷な収奪と、度重なる乱によって荒廃を極めていた。そこで重成は天草への植民を促進し、唐津藩主の算出した石高の見直し、幕府に対する年貢米の減免要請などを行った。また禅僧でもあった兄・正三を天草に呼び寄せ、民衆の前で説法を行って仏教への改宗を勧めるなど、キリシタン統制にも力を注いだ。 俗説だが、重成は「天草の年貢米減免を訴えるために自刃した」とする逸話がある。自刃説の真偽には賛否あるが、事実として天草には重成を主祭神とする「鈴木神社」があり、重成の存在そのものが一種の土着信仰化している。
ご神徳
ご神徳は不明です。
