龍造寺政家
りゅうぞうじまさいえ
- 歴史的人物
- 男神・男性

佐賀県立美術館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
戦国~江戸 [1556年~1607年]
龍造寺政家とは?
龍造寺政家(1556-1607)は戦国時代~江戸時代初期にかけての人物。龍造寺隆信の子で、龍造寺高房らの親。肥前国(現在の佐賀県)の大名家・龍造寺氏の嫡子として誕生。1578年に家督を譲られるが、形式的な家督相続であったため、政治および軍事の実権は父に握られたままだった。1584年には龍造寺氏から離反した有馬氏の討伐を命じられるが、政家の正室が有馬氏の出身であったため、政家は出陣せずに留守を預かった。代わりに出陣した隆信はこの戦にて死亡。父の死後ようやく実権を握った政家だが、「九州三強」と称された父の抜けた穴は大きく、ほどなくして龍造寺氏は島津氏の軍門に降る。豊臣秀吉の九州平定では肥前国7郡32万石を安堵され、病弱だった政家は早々に子の高房に家督を譲った。しかし今度は重臣・鍋島氏に藩の実権を握られることとなり、絶望した高房は22歳の若さで自害。その一ヵ月後には政家自身も急死を遂げてしまう。これにより室町時代より続いた龍造寺宗家は断絶。大名としての「龍造寺氏最後の当主」が政家ということになる。 佐賀県佐賀市の松原神社では政家を「北座三柱」の一柱として祀っている。残りの二柱は、政家の父・隆信と、嫡子・高房。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
龍造寺鎮賢りゅうぞうじしげとも
その他
