龍造寺家晴
りゅうぞうじいえはる
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
安土桃山~江戸 [~1613年]
龍造寺家晴とは?
龍造寺家晴(?-1613)は安土桃山時代~江戸時代初期の人物。龍造寺鑑兼の子で、諫早直孝らの親。1580年の筑後国(現在の福岡県)柳川城攻めにおいて、第三陣を率いて出陣した武将である。柳川城の主であった蒲池氏が滅亡した後、龍造寺隆信、鍋島直茂の順を経て、次に柳川城主となったのが家晴だった。その後、立花道雪や高橋紹運が数千の兵を率いて柳川城を落とそうとしたが、家晴は城主としてこれを防いだ。しかし1587年に豊臣秀吉が九州平定に伴う国割りを行った影響で、家晴は所領を失ってしまう。そこで家晴は秀吉に嘆願し、九州平定に参陣しなかった武将・西郷信尚から所領を没収し、肥前国(現在の佐賀県)高来郡伊佐早を治めることを認めさせた。同年8月に家晴は自軍・援軍合わせて約3500騎の軍勢で伊佐早を攻め、西郷信尚を高城城から追いやって、同地の字を「諫早」に改めている。また嫡子・直孝の代からは「諫早」に改姓したため、家晴は「諫早鍋島家(諫早氏)」初代当主として名を遺した。 長崎県諫早市の高城神社では、家晴を主祭神として祀っている。同神社は明治15年創建と比較的歴史が浅いが、現地では「新宮さん」と称され地元民に親しまれている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
