龍造寺家兼
りゅうぞうじいえかね
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 大名
室町~戦国 [1454年~1546年]
龍造寺家兼とは?
龍造寺家兼(1454-1546)は室町時代中期~戦国時代にかけての人物。龍造寺康家の子で、龍造寺家純らの親。肥前国(現在の佐賀県)の国人・龍造寺氏13代当主の五男として誕生。龍造寺家には本家の「村中龍造寺家」と、分家の「水ヶ江龍造寺家」があり、家兼は分家を興す役割を担っていた。しかし内部分裂などで本家の力が弱まると、家兼がたちまち本家の実権を掌握。まもなく主君・少弐氏の筆頭家臣に成り上がっている。1530年の田手畷の戦いでは大内氏が差し向けた1万の軍勢を撃退、名将として名を轟かせた。この頃から大内氏は積極的に「少弐氏を離反して大内氏につけ」と家兼に勧めていたようである。後年、家兼は少弐氏への救援を渋った疑いで裏切り者の汚名を着せられたが、本当に謀反の意思があったのかは定かでない。事実がどうあれ謀反者として追われる立場になった家兼は、蒲池氏の支援を受け、90歳超の老体をおして挙兵。見事に追っ手を返り討ちにして龍造寺家を再興させた。このため家兼は「龍造寺家中興の祖」とも称される。 家兼を祀るのは佐賀県多久市の多久神社。ここには龍造寺家の功労者を始め、西南の役以後の戦没者155柱なども合祀されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
