立花鑑載
たちばなあきとし
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
戦国 [~1568年]
立花鑑載とは?
立花鑑載(?-1568)は戦国時代の武士。立花鑑光の子。豊後国(大分県)を拠点とし、北九州を支配下においた守護大名・大友氏庶流の立花家に生まれる。筑前国(福岡県)立花山城主であった父・鑑光が大友義鎮(宗麟)に処断されたため、鑑載が家督を継ぎ立花山城主となった。1565年、義鎮に反旗を翻すが失敗し逃亡。後に許され立花山城に戻った。1568年、大友氏の重臣・高橋鑑種が毛利氏に呼応して謀反を起こす。毛利氏は大友氏との間で豊前(福岡県・大分県)、筑前(福岡県)の2国をめぐり争っており、鑑載は鑑種と結び毛利氏に通じ、再び義鎮に背いた。大友氏は、戸次鑑連率いる2万を超す大軍を差し向け立花山城を包囲した。鑑載は3ヶ月に渡り激しい攻防を繰り広げたが、立花側からの内通者により城は落とされた。鑑載の最期については、城から脱出した後に自刃したとも、降伏したが処刑されたともいわれる。 鑑載の亡骸は村人によって葬られ、慰霊のための石塚が築かれた。塚は鑑載をまつる立石社に移され、後に立石社は三柱神社(福岡県古賀市)に合祀された。現在塚は三柱神社境内にあり、首を落とされた遺体を葬ったとされることから「首なし塚」と呼ばれている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
三柱神社
(福岡県柳川市三橋町高畑323−1)
