利光鑑教 神社の神様 - 神社ファン

利光鑑教

としみつあきのり

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 武人

安土桃山 [~1586年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 利光鑑教とは?

    利光鑑教(?-1586)は戦国時代の武士。利光親貞の子で利光統久らの親。兄弟に成大寺家永らがいる。法名を宗魚と名乗った。大友氏の一族・利光氏に生まれる。大友義鎮(宗麟)、大友義統の親子2代に渡って仕え、豊後国(大分県)鶴賀城の城主を務めた。義鎮の勧めによりキリシタンの洗礼を受けたともいわれる。1586年、島津氏の豊後への侵攻が開始され、各地の城や砦が攻め落とされていく中、鶴賀城にも島津家久率いる2万に及ぶ大軍が迫った。家久による降伏勧告を拒否した鑑教は籠城戦で対抗。城には家臣7百名と老人や女性、子供など領民が3千名ほど籠ったとされる。城攻めの激しい戦闘で双方多くの死者を出したが、鑑教らは猛攻に耐えた。攻めきれなかった島津軍は、城の南に位置する梨尾山に一時撤退するが、鑑教は翌日の戦闘で流れ弾(矢とも)に当たり討死した。鶴賀城ではその後も鑑教の死を隠し戦い続けたが、直後の戸次川の戦いで、豊臣秀吉が大友氏に送った援軍が島津軍に大敗したため降伏した。 鑑教の墓は、鶴賀城の麓にあった成大寺に残されている。成大寺は利光氏の菩提寺で、鶴賀城の戦いの際に焼失したが再興された。現在は廃寺となっているが史跡として残されている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。