柳澤吉保
やなぎさわよしやす
- 歴史的人物
- 男神・男性

狩野常信 - 一蓮寺所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 藩主(館林藩
- 佐貫藩
- 川越藩
- 甲府藩)
江戸 [1659年~1714年]
柳澤吉保とは?
柳澤吉保(1659-1714)は、江戸時代前期の大名。江戸幕府の御側御用人。旗本・柳澤安忠の長男で、母は安忠の側室・了本院。1664年、館林藩主・徳川綱吉に謁見。1675年に父・安忠の致士とともに家督を相続して小姓組番衆となった。1680年、綱吉が兄の後継として江戸城に入ると吉保も従い、綱吉の学問の弟子となる。1688年、将軍親政の為に新設された側用人に任命され、禄高1万2千石の大名へと昇った。その後も吉保は度々加増を受け、常盤橋内に拝領した柳澤邸にも綱吉は頻繁に御成を行っていることから、吉保は相当に綱吉の寵愛を受けていたことが伺える。1700年頃には武田信玄の子孫とされる武田信興を綱吉に引き合わせ、高家武田家の創設に尽力した。1704年、吉綱の後継で甲府徳川家・綱豊が江戸へ入ると吉保は甲斐国甲府城15万1200石を与えられた。同時に駿河国内の所領も与えられたが、それは返上し代わりに甲斐国のうち巨摩郡、山梨郡、八代郡を与えられた。1709年に綱吉が死去すると吉保は隠居し、江戸本駒込で過ごしながら綱吉がたびたび訪れた六義園の造営などを行った。 奈良県大和郡山市の大和郡山城本丸跡にある柳澤神社では、吉保を主祭神として祀っている。1880年に二の丸跡に創建されたものが移設されたものである。
ご神徳
ご神徳は不明です。
