野中兼山
のなかけんざん
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(野中兼山伝 パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 学者
江戸 [1615年~1664年]
野中兼山とは?
野中兼山(1615-1664)は江戸時代の武士・儒学者。野中良明の子で野中婉らの親。名は良継で、通称は伝右衛門など。兼山は号である。播磨国(兵庫県)姫路に生まれる。土佐国(高知県)を出て浪人をしていた父・良明の没後に母と国に戻る。土佐藩で奉行職にあった父の従兄弟・野中直継の養子となり、その娘を妻とし養父と共に奉行職に就いた。谷時中に朱子学を学び、2代藩主・山内忠義の下、儒学思想を実学とした藩政改革に取り組む。兼山は強力に改革を推し進め、用水路を建設した大規模な新田開発、港湾設備の修築、養蜂、捕鯨、林業などの産業を振興。紙、茶、漆などを専売制とし財政を強化した。業績を上げ改革に手腕を発揮する一方で、過酷な賦役や生活まで厳しく統制された領民からの非難が高まり、藩内でも反発を招き政敵から弾劾を受け罷免される。失脚した兼山は、隠居した領地の山田村で急死した。遺族は宿毛に送られ、男子がすべて死去するまで幽閉された。 兼山は野中神社(高知県香美市ほか)などで祭神としてまつられている。野中神社は、幽閉を解かれた娘の婉が一族をまつるため建立した。他にも兼山ゆかりの地では、遺徳を偲んで建立された神社が高知県内各地にある。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
野中伝右衛門のなかでんえもん
その他
