木之元氏霊神
きのもとうぢみたまのかみ
- 歴史的人物
- 集団

祭神ランキング1527位
- 武人一族
[1179年~1219年]
木之元氏霊神とは?
木之元氏霊神(?-?)は鎌倉時代の武士・源頼茂父子を祭神とした神名。頼茂は源頼兼の子で源頼氏の親。1219年、源実朝の家司であり内裏守護の任についていた頼茂は、後鳥羽上皇に謀反のかどで追討され、応戦したものの敵わず、内裏の仁寿殿に籠り自害したとされる。しかし一方では、窮地を脱し肥前国(佐賀県・長崎県)夕路木谷に落ち延び、名を木元夕路木と変え隠れ住んだとの伝承もある。それによると頼茂は、落ち延びた地で7人の子と貧しい生活を送っていたが、村で起きた紅稲盗難事件の犯人として疑われ、潔白を証明するために幼い子供7人の腹を割いて見せ、自らも切腹して果てたといわれる。その後、村では災厄が繰り返し起こり、穀物も実らなくなった。これを頼茂の祟りによるものと考え、父子の霊を慰めるために神殿を建立しまつったところ、災いは止み穀物は豊かに実ったとされる。 木之元氏霊神は稲主神社(佐賀県武雄市)の祭神としてまつられている。父子の霊を、五穀・食物を司る倉稲魂命に配し1235年に創建された。稲主神社に奉納される芸能には、木之元氏霊神の言い伝えから、7人の子供に因んだ踊りが村の子供たちによって奉納されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
稲主神社
(佐賀県武雄市北方町大字志久3281番)
