木村八郎太夫
きむらはちろうだゆう
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 藩士(和歌山藩)
江戸
木村八郎太夫とは?
木村八郎太夫(?-?)は江戸時代の武士。紀伊国(和歌山県・三重県)海部(海士)郡の代官。関ヶ原の戦い後、紀州藩主となった浅野幸長により領内の検地が行われ、田畑の面積によって収穫高が算出されたが、平地が少なく日陰の多い大窪村では年貢を納めることも難しく、土地を捨てる村人が相次いでいた。郡代官となり、大窪村を訪れた際に現状を知った八郎太夫は、まず村人が生活できるよう租税の一部免除を藩に願い出る。さらに出ていった村人も呼び戻し、耕作の合間にみかん籠を作ることを提案。村人に竹を植えさせて竹籠作りを教えた。紀州のみかんは江戸時代初期から人気が高まり、江戸への出荷も盛んに行われるようになっていた。八郎太夫の尽力により、みかん籠作りで収入を得ることで年貢も納められるようになった大窪村は、生活が改善されて村人の数も大幅に増え復興を果たした。 八郎太夫は木村神社(和歌山県海南市)で主祭神・木村八郎太夫命としてまつられている。木村先生社とも呼ばれ、村を救った八郎太夫の遺徳を称え、1753年に村人の手により神社が建立された。1907年に他の神社と合祀される予定だったが、住民の希望により村の氏神として残されることが決まった。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
木村神社
(和歌山県海南市下津町大窪674番地)
