木曽義仲
きそよしなか
- 歴史的人物
- 男神・男性
祭神ランキング776位
木曽義仲とは?
木曽義仲(1154-1184)は平安時代の武士。源義賢の子で源義高らの親。河内源氏の一族、信濃源氏の家系に生まれる。2歳で父・義賢が討死し、義仲は乳母の夫・中原兼遠の庇護のもと信濃国(長野県)木曽で成長する。以仁王による平氏追討の令旨を受け挙兵。信濃を制し、上野国(群馬県)、越後国(新潟県)と進出するが、東国を勢力圏とする源頼朝と対立し、長子・義高を人質とすることで和議を図った。10万ともいわれる大軍を率いた平維盛の北陸追討軍を俱利伽羅峠で撃破し、続く篠原の戦いにも勝利を収め入京を果たす。都の治安回復が期待された義仲だが、軍紀の乱れや食糧事情の悪化、皇位継承への介入などをめぐり朝廷、貴族の反発を招き、ついには対立した後白河法皇を幽閉し自らを征夷大将軍に任じさせた。頼朝の命を受けた源範頼、源義経軍との戦いに敗れ、落ちのびる途中の近江国(滋賀県)粟津で討死した。信州、北陸道の各地には、埴生護国八幡宮を始め戦勝祈願に訪れたとされる伝承が多く残されている。 義仲は旗挙八幡宮(長野県木曽郡)などで祭神としてまつられている。旗挙八幡宮は平氏打倒の旗揚げを行った地とされ、近隣の義仲館では義仲の資料が展示されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
源義仲みなもとのよしなか
その他
朝日将軍あさひしょうぐん
その他


