木下俊長 神社の神様 - 神社ファン

木下俊長

きのしたとしなが

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 藩主(日出藩)

江戸 [1649年~1716年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 木下俊長とは?

    木下俊長(1648-1716)は江戸時代の武士。木下俊治の子で木下俊量らの親。豊後国(大分県)日出藩主・木下家に生まれる。父・俊治が江戸参勤の途中で急死したため、俊長が家督を継ぎ3代藩主となった。日出藩は、領地の約半数の村が水不足に悩まされる土地で、俊長が藩主となった2年後には8954名の農民が隣国の木付領へ逃げ込む事件も発生した。俊長は灌漑用水用のため池築造を開始。藩最大の富水池を含む10以上のため池を完成させた。ため池による米の増産の他、新たに七島藺《しちとうい》を栽培し、七島表を特産品とするなど殖産にも努めた。藩士には文武を奨励し、自身も画を狩野常信に、儒学を人見竹洞に学んでいる。居城・日出城の別名「暘谷城」は、中国の古書から引用して俊長が命名したとされ、葬祭は儒教式で行うよう遺言を残している。また神仏への崇敬も厚く、寄進や寺社の経営を行ったとされる。俊長の墓は、木下家の菩提寺である松屋寺にもあり、松屋寺には俊長自筆の「千体観音図帖」も収められている。 俊長は横津神社(大分県速見郡)で主祭神としてまつられている。遺言通り儒葬で葬られた俊長の墓は横津御廟と呼ばれ、明治に入り横津神社に改められた。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    青筵神社
    (大分県杵築市大字杵築15番の28)