毛利秀元
もうりひでもと
- 歴史的人物
- 男神・男性

狩野探幽(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
安土桃山~江戸 [1579年~1650年]
毛利秀元とは?
毛利秀元(1579-1650)は安土桃山時代末期~江戸時代初期の大名。父親は毛利元清、毛利元就は祖父に当たる。母親は村上通康の娘妙寿院。従兄にあたる毛利輝元に嫡子がいなかったために一時期は養子となっている。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には文禄の役の際には毛利輝元と共に朝鮮に渡り、慶長の役では30000の軍勢を率いて輝元の名代として出兵している。関ケ原の戦いの際には輝元は大阪城に待機したが秀元は出兵、しかし、東軍と内通した利家家老福原広俊らに押しとどめられ実際には参戦はしていない。秀元が参戦を見送り傍観したことが西軍の中に疑心暗鬼を招き敗北の一因となったとも言われている。結果、西軍は敗退したが毛利家は減封されたが家名は継続し、秀元は長門国に36000石を分地され初代長府藩主となる。江戸時代に入ってからは江戸に居住し幕府との折衝役を務め、茶の湯が堪能であったことから三代将軍徳川家光からは重用されたと言われている。 秀元は山口県下関市にある豊功神社に祭神として祀られている。豊功神社は秀元に豊功大明神の称号が下賜されたことが創始であり、当初は豊神社と名づけられ明治時代になり豊功神社に改称された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
