毛利綱元
もうりつなもと
- 歴史的人物
- 男神・男性

下関市立長府博物館 長府毛利家所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(長府藩)
江戸 [1651年~1709年]
毛利綱元とは?
毛利綱元(1651-1709)は江戸時代前期の大名。長門国長府藩第2代藩主毛利光広の嫡男。父光広の急死により4歳にして家督を継ぎ第3代藩主となる。豊浦郡の10000石を叔父の毛利元知に分知し支藩となる清末藩を創立させている。着衣の制限などの細部にまでわたる倹約を定めた「天和御法度」を制定、また困窮している民衆を救済するための法を定めるなどきめの細かい藩政を行っている。56年の長きにわたり藩主を務めた綱元は晩年病を癒すために領内の川棚温泉で湯治をし、その効果があらたかであったために温泉内に薬師院を建立した。以降も藩主専用の湯治場「御殿湯」や宿泊所に当たる御茶屋などを設け、また、入湯は身分によって厳しく振り分けられる制度を創出し、川棚温泉は「御殿様の湯」として知られるようになった。赤穂浪士討入りの際には、四十七士の内十士を江戸屋敷に預かったが罪人として扱ったために民衆の反感を買い、細川藩に見習って手厚いもてなしに改めている。 綱元は山口県下関市にある豊功神社に祭神として祀られている。豊功神社は藩祖毛利秀元公に豊功大明神の称号が下賜されたことが創始であり、歴代の長府藩主が祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
