毛利元敏
もうりもととし
- 歴史的人物
- 男神・男性

下関市立長府博物館 長府毛利家所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(長府藩)
江戸~明治 [1849年~1908年]
毛利元敏とは?
毛利元敏(1849-1908)は江戸時代末期の大名であり、明治時代の華族。父親は長府藩第12代藩主毛利元義。大政奉還の翌年に第11代藩主毛利元周が隠居したために家督を継ぎはんしゅとなった、長府藩最後の藩主である。翌年には版籍奉還により豊浦藩と改称し藩知事となる。その後の廃藩置県により知事の職を辞し、東京に移住する。この年より岩倉倉使節団に同行して3年間アメリカへ留学。帰国後は那須黒磯(栃木県那須塩原市)に豊浦農場を開墾する。従二位、勲二等にまで叙せられ、子爵の官位を賜る。一説には明治天皇の叔父にあたる中山忠光が長府藩に亡命している際に何者かに暗殺されたとされ、このことにより高位を授けることを明治天皇がためらったとも言われている。しかし、詩歌などの文学に秀でていたことから明治天皇にも重用され宮中御歌所寄人などにも任じられている。晩年は長府に帰郷し明治41年に67歳で亡くなっている。 元敏は山口県下関市にある豊功神社に祭神として祀られている。豊功神社は歴代の長府藩主が祀られた神社である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
