毛利元徳
もうりもとのり
- 歴史的人物
- 男神・男性

福井市立郷土歴史博物館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング776位
- 藩主
- 華族
江戸~明治 [1839年~1896年]
毛利元徳とは?
毛利元徳(1839-1896)江戸時代末期の大名であり、明治時代初期の華族。父親は徳山藩第8代藩主毛利広鎮、母親は側室三宅才助の娘多喜勢。第13代藩主毛利敬親に嗣子がいなかった為、養子となった。当初は広封と名乗り、高杉晋作の父高杉小忠太や後の外務卿井上馨などを家臣として従えていた。第13代将軍徳川家定から偏諱を受け定広と称するようになり、長州藩の藩論である尊王攘夷の活動を藩主敬親の名代として活動することになる。禁門の変の際には三条実美らを伴い京で久坂玄瑞率いる長州軍との合流を図るが、途上で禁門の変の敗北を知り長州に引き返している。この際に将軍からいただいた偏諱は没収され広封の名に戻し官位もはく奪されている。大政奉還後の明治2年に藩主敬親が亡くなり第14代長州藩主の座に就く。長州藩最後の藩主である。その後版籍奉還により山口藩知事となったが、さらに廃藩置県で職を失い東京に移住。第15国立銀行頭取、貴族院議員などを歴任、公爵の爵位を賜っている。 元徳は山口県山口市にある野田神社に祭神として祀られている。元徳は野田神社の摂社芳宜園神社に祀られていたが、昭和になり野田神社の配祭神として合祀された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
毛利定広もうりさだひろ
その他
