毛利元義 神社の神様 - 神社ファン

毛利元義

もうしもとよし

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 藩主(長府藩)

江戸 [1785年~1843年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 毛利元義とは?

    毛利元義(1785-1843)は江戸時代後期の大名。長門国長府藩第10代藩主毛利匡芳の嫡男であり、母親は右大臣西園寺賞季の娘宝珠院。父匡芳の死により8歳にして家督を継ぎ第11代藩主となり、以降50年にわたり藩政を司った。元義は父匡芳が創設した藩校敬業館の充実を計り、朱子学をもとに人材育成を図り学業奨励に務めた。殖産興業の面では相場会所の開設、吉見塩田の造成、才川干拓などの功績を残している。また、藩政改革の一環として身分の低い藩士もその能力に応じて登用を行ったが、一部ではこの事が混乱を招く要因ともなっている。治世が後半に差し掛かると幕末の徐々に動乱期となり元義は混乱した藩政から逃避するように次第に趣味、遊興の道に没頭していくことになる。狂歌では狂歌を鹿津部真顔に学び清元節「梅の春」を作詞、絵画では梅花を愛して梅趣と号した。その他にも平戸から陶工の鳴瀬幸兵衛を迎える、砂子多川河湖畔で華やかに「曲水の宴」を催すなど文人殿様としての活動の中で藩内には多くの文化人が育成された。 元義は山口県下関市にある豊功神社に祭神として祀られている。豊功神社には藩祖毛利秀元以降12代の藩主が祀られた神社である。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。