毛利匡芳
もうりまさよし
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 藩主(長府藩)
江戸 [1758年~1792年]
毛利匡芳とは?
毛利匡芳(1761-1792)は江戸時代中期の大名。父親は第7代長州藩主毛利重就。長州藩の支藩である長府藩の藩主である兄の毛利匡満が若くして亡くなり、嫡子もいなかったことから匡芳が家督を継ぎ、第10代長府藩主となる。長府藩はもともと無城藩であったが、匡芳の代に、父重就の幕府への請願により五万石の城主格に昇進した。しかし藩の財政は厳しく、節倹条例や奢侈禁止令の発布を図るとともに、産業奨励・教育の向上などの目的により藩学敬業館と演武場を創設した。敬業館では家格や格式を超えて広く有能な人材を登用し育成、演武場では文武両道の志を育成した。当時藩士の子弟は15歳になると敬業館への就学が義務付けられ、現在の義務教育の先駆けとも言える試みであった。 匡芳は山口県下関市にある豊功神社に祭神として祀られている。豊功神社は毛利秀元が毛利の守護神である護神宮崎八幡宮を安芸国より勧請して創建し、歴代の毛利藩主が祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
