毛利匡広
もうりまさひろ
- 歴史的人物
- 男神・男性

下関市立長府博物館 長府毛利家所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(清末藩
- 長府藩)
江戸 [1675年~1729年]
毛利匡広とは?
毛利匡広(1675-1729)は江戸時代前期の大名。長州藩の支藩である清末藩初代藩主毛利元知の次男。8歳の若さで亡くなった父元知の家督を継ぎ2代藩主となり、この時は名を元平としている。第五代長州藩主毛利吉元より長府藩の再興を命じられる。長府藩とは毛利元就の四男穂井田元清の子である毛利秀元が藩主として1598年に立藩している。関ケ原の戦いの後に長州藩は大きく減封され、長府藩は廃藩となり新たに1万石で清末藩が支藩として立藩されていた。清末藩から本家筋に当たる長府藩を再興した際に元平から匡広に名を改めている。これにより清末藩は一時廃藩となるが、匡広の七男政苗はが再興している。藩主となった匡広は倹約令などを発布、農業の奨励などで藩の財政政策を行ったが享保の大飢饉などで大きな被害を受け藩の財政は困窮が続いたと言われている。 匡広は山口県萩市にある志都岐山神社に祭神として祀られている。志都岐山神社は明治時代に入り、山口県山口市にある豊栄神社・野田両神社の分社として建立された神社であり、代々の長州藩主が祭神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
毛利元平もうりもとひら
その他
