毛利重就
もうりしげなり(しげたか)
- 歴史的人物
- 男神・男性

毛利博物館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(長府藩
- 長州藩)
江戸 [1725年~1789年]
毛利重就とは?
毛利重就(1725-1789)は江戸時代中期の大名。長州藩の支藩である長府藩主毛利匡広の十男である。父匡広の死去に伴い、十男ではあったが長兄が他家の養子となっていたなどの理由により長府藩主となった。また、本家筋となる長州藩第6代藩主毛利宗広が早くして死去し、家督を継承する子供らに恵まれなかったために重就が末期養子となりそのまま第7代長州藩主の座に収まる事となった。重就が藩主となった当時の長州藩は、天災等により米作の減少、他藩との貿易の不興などにより財政がひっ迫した状態に陥っていた。重就は藩内に撫育方呼ばれる一種の基金を設立し、着任と共に実行した宝暦検地と新田開拓によって増収した資金を別会計として運用、塩田開発などの新たな事業の資金として活用した。また、今浦港、三田尻などの新たな港を築き、貿易、回船業者への金銭の貸付などを行い利益を上げる事に成功していく。重就は財政がひっ迫した長州藩を撫育方の設置運用により立て直した中興の祖と呼ばれている。 重就は山口県萩市にある志都岐山神社に祭神として祀られている。志都岐山神社には毛利元就を主祭神とし、歴代の長州藩主が配祭神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
毛利重就もうりしげたか
その他
毛利匡敬もうりまさたか
その他
