毛利輝元 神社の神様 - 神社ファン

毛利輝元

もうりてるもと

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
毛利輝元

毛利博物館所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 大名

戦国~江戸 [1553年~1625年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 毛利輝元とは?

    毛利輝元(1553―1625)は安土桃山時代末期の武将。毛利隆元の嫡男、母は大内義隆の養女となった内藤興盛の娘。毛利元就の孫にあたる。輝元が生まれたのは、祖父元就が陶晴賢を討ち果たし中国地方の覇権をほぼ手中に収めた頃と一致する。父隆元が尼子勢との争いの中急死し、輝元は11歳にして家督を継承するが、幼年であったために実際の差配は祖父元就が行っている。その後元服し足利義輝より偏諱を受け輝元となると当主として認められ、元就が亡くなると吉川元春、小早川隆景らの補佐を受け尼子氏を退けて中国地方一帯の覇権を確実なものとした。その後織田信長の台中国攻めで劣勢に立たされるが本能寺の変の勃発により秀吉とは和議となった。信長の死により天下人に上り詰めた秀吉には臣下の礼を取り、五大老の一人と数えられる重鎮となっていく。秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは西軍の旗頭となったが実際の戦闘には赴いていない。勝利をおさめた徳川家康には恭順の姿勢を取り、周防、長門の二国は安堵され明治維新まで耐えることなく大名の家系は継続していくことになる。 輝元は山口県萩市にある志都岐山神社に祭神として祀られている。志都岐山神社は萩城跡の指月公園内に鎮座する神社である。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。