妹尾兼康
せのおかねやす
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
平安 [1123年~1183年]
妹尾兼康とは?
妹尾兼康(?-1183)は平安時代末期の武将。鳥羽上皇と官女である妹尾保子との間に生まれた子供と言われている。妹尾氏は中臣鎌足を遠祖とする備中国(岡山県)妹尾村を本拠とする古豪族であり、平氏の家人として勇名をとどろかせる存在であった。兼康は保元の乱、平次の乱では武功を挙げ、鹿ケ谷事件では藤原成親の拷問役を務めるなどの活躍をしている。打倒兵士を掲げて挙兵した木曾義仲を迎え撃ち激突した倶利伽羅峠の戦いでは平氏方の将として参戦した兼康は敗戦し、源氏方の捕らわれの身となるが兼康は天皇の御落胤ということもあり、一目置いた義仲により許され一命をとりとめた。助命された兼康は義仲軍に従軍した。しかし、平氏を追討する義仲軍が備前国三石宿に達すると兼康は裏切り倉光成澄、成氏の兄弟を殺害し逃亡。備前・備中・備後三国で2000人余りの兵を集めて義仲軍に対抗するが、家臣を殺された義仲の激しい攻撃にあい滅亡する。一説には肥満のため動けなくなった息子の宗康を助けるために引き返したことが敗因とされている。 兼康は岡山県総社市にある兼康神社に祭神として祀られている。兼康神社は兼康が領地の利水のために湛井堰を築くなどした功績をたたえて建立された神社である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
瀬尾兼康せのおかねやす
その他
