本多富正 神社の神様 - 神社ファン

本多富正

ほんだとみまさ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 家老(福井藩)

安土桃山~江戸 [1572年~1649年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 本多富正とは?

    本多富正(1572-1649)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。越前府中城城主、越前国福井藩家老。父は徳川氏家臣・本多重富。徳川家康の子で越前松平家初代当主・結城秀康、松平忠直、松平忠昌と3代に渡って仕えた。豊臣秀吉への人質・結城秀康に随行し、秀康は豊臣配下として九州平定や小田原征伐に参陣したので富正も従って軍功を挙げた。関ヶ原の戦いの後、秀康は越前一国68万石の大名となり、富正は加藤康寛とともに北ノ庄城へ派遣され、開墾や用水整備などの工事を指揮した。1606年、秀康が病死した際、富正は駿府城改築を指揮していたため秀康の後を追えなかった。その後藩内の重臣同士の対立が起こったが、家康直々の裁きで富正が勝利し、引き続き国中仕置を命じられる。1614年の大坂の陣では越前家をまとめ幕府側で参戦。冬の陣では乱戦に巻き込まれ多大な損害を出し家康から叱責を受けたが、夏の陣では大坂城一番乗りの手柄をとった。その後、主君・忠直が配流されると忠昌を補佐した。幕府からは独立の打診もあったが、秀康への恩義を理由に断ったという。1645年に隠居、元覚斎と名乗った。1649年に78歳の生涯を閉じた。 福井県越前市本多にある藤垣神社は、富正を主祭神として祀っている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    藤垣神社
    (福井県越前市本多3丁目3-3-1)