本多忠次
ほんだただつぐ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~江戸 [1547年~1613年]
本多忠次とは?
本多忠次(1547-1613)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。三河国宝飯郡伊那卿の伊那城城主。徳川氏の家臣。近江国膳所藩主本多氏の祖。通称は隼人佑、縫殿助、彦八郎。父は本多忠俊。徳川家康に仕えており、1564年に父・忠俊とともに東三河吉田城攻めに参戦。同じ年に父が死去すると、病気がちな兄・光忠にかわり忠次が家督を継いだ。さらに同年、今川方の吉田城主・小原鎮実に家臣を送り何度か説得して、ついに城を開かせた。この結果、東三河含む三河国の殆どを勢力下に置くことに成功し、家康は忠次や光忠らに恩賞を与えた。1570年の姉川の戦いにも参加、その後1575年の松平信康の初陣にも随行し三河国の足助城、福地城を攻めた。さらに武田勝頼の鳶の巣山砦攻略、高天神城攻めでも武功を挙げ、たびたび同陣となりともに戦った酒井忠次の次男・九十郎(のちの康俊)を養子にしている。家康の娘が北条氏直へ嫁ぐ際には、御輿添えを務め相模国まで随行した。1589年康俊に家督を譲り、康俊が関ヶ原の戦いの功によって三河国西尾城に転封されると同行した。1613年、享年66で死去。 滋賀県大津市御殿浜の膳所城瓦ヶ浜御殿の跡に鎮座している本多神社では、本多家中興の士である忠次、忠俊、康俊、俊次の4柱が主祭神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
本多神社
(滋賀県大津市御殿浜20-50)
