本多俊次
ほんだとしつぐ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 藩主(膳所藩
- 西尾藩
- 亀山藩
- 膳所藩)
江戸 [1595年~1668年]
本多俊次とは?
本多俊次(1595-1668)は、江戸時代前期の大名。康俊系本多家宗家2代。酒井忠次の孫であり、父は本多康俊。徳川家の重臣である父とともに1614年の大坂冬の陣に参陣。翌年の夏の陣では将軍・徳川秀忠に従い武功を挙げた。1621年に父・康俊が亡くなると家督を継ぎ膳所藩主となったが、半年程度で5000石加増され3万5000石で三河国西尾に移封された。1632年には遠江国掛川城の守備を務めあげた功績で1万5000石加増され伊勢国亀山城に移封。さらに1651年、2万石を加増されたうえで膳所藩主へと返り咲き、最終的な所領は7万石となっていた。以降膳所藩主は明治維新まで、本多家が務めることとなる。領内の村には生活するうえでの決まり事などを記した29カ条からなる「定書」を発したが、この法令は以後膳所藩政の基本事項として長きにわたって利用された。1660年頃、浜御殿を造営。同じ頃に城下町の家々を藁葺き屋根から瓦葺き屋根へと替え、町の景観を一新したと言われている。1664年、次男である康将へと家督を譲り隠居、1668年に74歳の生涯を閉じた。 滋賀県大津市御殿浜にある本多神社では、俊次を含む4柱の本多家中興の士が主祭神として祀られている。境内には俊次が造営した浜御殿址石碑が残されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
本多神社
(滋賀県大津市御殿浜20-50)
