本多康俊
ほんだやすとし
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 大名
戦国~江戸 [1569年~1621年]
本多康俊とは?
本多康俊(1569-1621)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。三河国西尾藩主、近江国膳所藩初代藩主。康俊系本多家宗家初代。徳川家の家臣。徳川四天王の一人である酒井忠次の次男。徳川家康の祖父・松平清康の外孫。1575年長篠の戦いの際、 織田家の人質として安土に赴き、1580年には本多忠次の養子となった。1590年に小田原征伐がはじまると再び人質として豊臣家の聚楽第へと赴いた。同じ年、徳川家が関東へ移動すると下総国小篠の5000石を与えられた。関ヶ原の戦いでは功を挙げ、翌1601年に三河国西尾2万石に加増移封された。大坂冬の陣では近江国膳所城を守備し、河内国内で騒ぎが起きた際に鎮圧した。夏の陣では天王寺岡山の戦いに参陣し、首級を105個も挙げたといわれている。1616年に家康が死去した際、岡崎で法会の奉行を務めた。翌年、大坂の陣での功績で近江国膳所3万石へと加増移封される。1621年、死去。享年53。 滋賀県大津市御殿浜にある本多神社では、康俊ほか本多家中興の士4柱が主祭神として祀られている。膳所城浜御殿跡に鎮座しており、旧臣や領民が集い明治16年に創祀されたという。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
本多神社
(滋賀県大津市御殿浜20-50)
