本多広孝
ほんだひろたか
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~安土桃山 [1528年~1598年]
本多広孝とは?
本多広孝(1528-1597)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川家の家臣。松平宗家の混乱や危機の時期にも忠節を続け、松平宗家8代・広忠から「広」の字を賜った。1549年、田原戸田氏の陰謀で織田氏に拘束されていた竹千代(徳川家康)を奪還するため、安祥城を攻撃。先鋒で織田信広を捕らえ、竹千代との人質交換を成功させた。以降は今川家に従属した松平氏を支え、数々の戦で戦功を挙げる。1560年に今川義元が死去すると家康が岡崎に帰城。広孝は領土回復に尽力した。1564年の東三河侵攻にも従い、今川軍が籠城していた田原城を落とし、恩賞として田原城とその属領を与えられた。武田氏との三方ヶ原の戦いでは味方の敗走を助け、東三河の奥平貞能らに徳川氏への帰属を呼びかけ保護した。翌年には奥平氏に加勢し所領から武田氏を駆逐、岡崎城への憂いを絶った。長篠の戦いにも参戦し勝利に貢献する。1577年に子・康重に家督を譲った後も甲州征伐や長久手の合戦に参陣。子・康重が上野国白井城主となるとそれに従った。1597年、享年70で死去。 長野県飯山市の飯山城本丸跡にある葵神社には、広孝が主祭神として祀られている。周辺には石垣が良く残り櫓台があり、北の二の丸跡は芝生の城山公園となっている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
葵神社
(長野県飯山市大字飯山字田町2753)
