堀直寄
ほりなおより
- 歴史的人物
- 男神・男性

狩野探幽 - 新潟県立歴史博物館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
安土桃山~江戸 [1577年~1639年]
堀直寄とは?
堀直寄(1577-1639)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名。堀直政の次男(三男という説もある)。1590年、豊臣秀吉の小姓となった。1598年に堀家は越前北ノ庄城から越後春日山城へ転封となり、直寄は秀吉に「老齢の父を助けるため、3年の暇を賜りたい」と頼んだ。これに感心した秀吉は越後魚沼郡坂戸城2万石を与え、暇を認めたという。1600年に上杉遺民一揆が起こった時は、陥落した下倉城を翌日に奪還し、徳川家康らから感状を授与されている。1602年、越後蔵王堂城主・堀親良が出奔し、甥の鶴千代を自分の養子として蔵王堂城主にした際、直寄は鶴千代を補佐した。その後鶴千代が早世すると蔵王堂藩は廃藩となり、直寄が坂戸と蔵王堂併せて5万石を治めた。1608年に父・直政が死去すると、家督を巡り兄・直清と対立。直清が僧侶を殺害したことを家康に訴えると自身も巻き込まれ1万石の減封を受けたが、大坂夏の陣では活躍し戦後は重病の家康から床に呼ばれ遺言を受けるなど、重用されていた。1616年に加増を受け再び長岡の領主となり、2年後にさらに加増され越後村上藩10万石に転封された。晩年は沢庵らと頻繁に交流していた。 新潟県五泉市村松甲にある住吉神社には、住吉三神、奥田種重とともに直寄が祭神として祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
住吉神社
(新潟県五泉市村松甲5959番地)
