堀秀政
ほりひでまさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

長慶寺所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
戦国~安土桃山 [1553年~1590年]
堀秀政とは?
堀秀政(1553-1590)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。斎藤道三の家臣・堀秀重の長男。幼いうちは従兄の堀直政とともに伯父・堀掃部太夫に育てられた。1565年、13歳の若さで織田信長の側近となった。これは美形だったためとの説がある。将軍・足利義昭の仮住まいの普請奉行などを命じられ、重用された。次第に合戦でも功を挙げるようになり、鉄砲隊などを率いた。寺育ちということもあり、本願寺との交渉なども任され、本願寺顕如から法名も受けている。本能寺の変で信長死去の報を聞くと、秀吉とともに急ぎ山崎の戦いに参陣した。先陣を務め、明智光秀の援護に来た明智秀満を坂本城へ追い込み自害させ、近江国佐和山城と9万石を与えられた。以降は秀吉の家臣となり羽柴姓を使用していたが、秀吉の一族以外で羽柴を名乗ったのは秀政が初めてであったといわれている。その後長久手の戦いや北ノ庄攻め、九州平定や小田原征伐にも参陣し、味方が大敗を喫する中でも相対した相手に敗走させるなど武功を挙げたが、小田原征伐の陣中で疫病を患い、38歳で急死した。 長野県飯田市追手町にある長姫神社は1880年に創建され、堀親良、親昌とともに秀政を主祭神として祀っている。飯田城跡に社殿があり、「ご三霊さま」の愛称で親しまれている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
長姫神社
(長野県飯田市追手町2-641)
