北白川宮能久親王
きたしらかわのみやよしひさ しんのう
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 皇族
江戸~明治 [1847年~1895年]
北白川宮能久親王とは?
北白川宮能久親王(1847-1895)は江戸時代後期~明治時代にかけての人物。伏見宮邦家親王の子で、竹田宮恒久王らの親。邦家親王の第九王子として生を受け、1歳で仁孝天皇の猶子となる。のち親王宣下を受け、得度して「公現」の法諱を称した。1867年には寛永寺に入り、先代の隠居に伴って寛永寺貫主・日光輪王寺門跡を継承。この頃から歴代の例に倣って「輪王寺宮」と通称されたが、輪王寺宮のお役目はこの代で途絶えたため「最後の輪王寺宮」としても知られる。鳥羽・伏見の戦いの後は、寛永寺で謹慎していた徳川慶喜を救うべく、新政府に慶喜の助命と東征中止の嘆願を行った。交渉が決裂すると一時は寛永寺に立てこもり、新政府軍との交戦に至るが、1868年に奥州が鎮定されると謝罪状を提出。親王停止の上、謹慎の処分を受けた。しかし翌年には赦免されて北白川宮を相続。その後は陸軍に籍を置いて中将にまで昇進し、台湾鎮定に伴う出征中に病没した。 外地で殉職した皇族は史上初だったため、台湾には当時「台湾神宮」を始め北白川宮能久親王を主祭神とする60近くもの神社が創建された。しかし敗戦後に全て廃社になり、現在は靖国神社に合祀されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
牧宮神社
(群馬県長野原町大字北軽井沢1987番地)
