北郷相久
ほんごうすけひさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1003位
- 武人
戦国 [1554年~1579年]
北郷相久とは?
北郷相久(1554-1579?)は戦国~安土桃山時代の武士。北郷時久の子で兄弟には北郷忠虎らがいる。日向国(宮崎県)で島津氏の有力氏族・北郷氏の長男として生まれる。1573年に北郷氏の領地である末吉に侵攻してきた肝付氏に対し、父や兄弟と共に出陣し討ち破った。1578年の耳川の戦いでも島津軍として活躍し功をあげている。相久は才知に長け文武に優れていたとされ、北郷宗家の嫡男として育てられたが、突如として父に謀反を疑われる。時久に命じられた北郷出羽守久蔵の軍勢により、相久のいた安永金石城が包囲され自害した。耳川の戦いの際に、激戦に怯えて逃走しようとした者を叱咤したことへの逆恨みによる讒言とも伝えられる。墓は北郷氏の菩提寺であった都城市の龍峯寺跡に現在も残されている。また、同市には7代当主・北郷数久の菩提寺の釣こう院跡があり、相久廟所の石柱を見ることができる。 相久は兼喜神社(宮崎県都城市ほか)で祭神としてまつられている。相久の無実を知った時久により若宮八幡として創建された。その後に数度、社名が改称され現在の兼喜神社となった。地元の人々からは「デメジンサァ(大明神様)」と親しみを込めて呼ばれ崇敬されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
