泉十郎
いずみじゅうろう
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 藩士(豊浦藩)
江戸 [1839年~1866年]
泉十郎とは?
泉十郎(?-1865)は江戸時代の武士。長府藩士・荻野家の次男として生まれ、130石の御馬廻格・野々村家の養子となり野々村勘九郎と名乗る。藩内随一の剣客として知られる存在だったが、他藩の藩士を切ったことで問題となり泉十郎と改名する。藩奉行在任中に精兵隊を組織。寺社奉行在任中には、長府・功山寺に潜居していた尊王攘夷派の五卿・三条実美らの護衛兼接待役となった。1865年、隊結成の許可が下り十郎は都督に就任する。若い藩士、少年たちの盟約により結成された隊の名は、決死報国の意味を込め「報国隊」と名付けられた。しかし、報国隊の軍監・保守派の熊野九郎と対立し、藩内抗争の末に隊士の梶山鼎介らが、目付役で保守派の林郡平を暗殺。密告により十郎は首謀者として捕らえられ、功山寺において切腹を申し付けられた。享年27歳。墓は功山寺の野々村家の墓所に残されている。 十郎は櫻山神社(山口県下関市)で祭神としてまつられている。高杉晋作の発議により、国のため身命を捨てて尽くした志士たちをまつる招魂場として建立された。十郎亡き後の報国隊は、小倉戦争や北越戦争で多くの戦死者を出し、十郎と共に96柱が櫻山神社に合祀されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
桜山神社
(山口県下関市上新地町二丁目六番二二号)
