蜂須賀茂韶
はちすかもちあき
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
- 華族
江戸~大正 [1846年~1918年]
蜂須賀茂韶とは?
蜂須賀茂韶(1846-1918)は江戸~大正時代の武士・政治家。蜂須賀斉裕の子で蜂須賀斉裕の親。阿波国(徳島県)徳島藩主・蜂須賀家に生まれる。従兄弟の第14代将軍・徳川家茂より茂の字を与えられ茂韶と名乗る。死去した父の跡を継ぎ、1868年徳島藩14代藩主となった。明治政府で新設された議定を務め、刑法事務局輔や民部官知事に就任した。1872年からイギリスに留学し、帰国後は大蔵省関税局長、参事院議官などを務める。1882年にフランス公使となり渡仏。1884年に制定された華族令により侯爵となる。その後も元老院議官、東京府知事、貴族院議長、文部大臣など要職を歴任した。1893年からは北海道の雨竜原野を開拓し蜂須賀農場を経営。小作制の大農場として規模を広げたが、10年にも及ぶ小作争議「蜂須賀農場争議」が起きたことでも知られる。また茂韶は俳句、能、書などをよくし、淡路市・賀茂神社などには茂韶の手による書も残されている。 茂韶は国瑞彦神社(徳島県徳島市)、國瑞彦護國神社(兵庫県洲本市)で祭神としてまつられている。藩祖・蜂須賀家政を祭神として創始したことに始まり、歴代の藩主がまつられ、茂韶は最後の徳島藩主として合祀された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
国瑞彦護国神社
(兵庫県洲本市山手2丁目1−42)
