蜂須賀家政
はちすかいえまさ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング776位
- 大名
戦国~江戸 [1558年~1639年]
蜂須賀家政とは?
蜂須賀家政(1558-1638)は戦国~江戸時代の武士。蜂須賀正勝の子で蜂須賀至鎮らの親。尾張国(愛知県)宮後城において嫡男として生まれ、父に従い出陣した姉川の戦いで初陣を果たす。初めに織田信長、後に豊臣秀吉に仕え、秀吉の黄母衣衆となる。以降、山崎の戦いと続く数々の戦で功をあげ、播磨国(兵庫県)佐用郡で3千石を、四国征伐後には阿波国(徳島県)一国を与えられ徳島城主となる。関ヶ原の戦いでは西軍に属するよう要請されるが病を理由に出陣せず、嫡男・至鎮を東軍から出陣させた。合戦後に家督を至鎮に譲り隠居したが、至鎮が早世したため、幼くして跡を継いだ嫡孫・忠英の後見となり、忠英が成人するまで藩政を取り仕切った。秀吉の死後、家政には形見の木造が与えられている。剃髪し蓬庵と名乗った家政が、隠居の際に建てた別邸の近くに豊国神社を創建。木造はご神体としてまつられている。 家政は國瑞彦神社(徳島県徳島市)、國瑞彦護國神社(兵庫県洲本市)、雨竜神社(北海道雨竜郡)で祭神としてまつられている。國瑞彦神社は、徳島藩11代藩主・蜂須賀治昭が藩祖・家政をまつったことに始まり、國瑞彦護國神社と雨竜神社では國瑞彦神社より分霊を奉遷している。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
國瑞彦神社
(徳島県徳島市伊賀町1丁目6)
雨龍神社
(北海道雨竜町字満寿32番地)
国瑞彦護国神社
(兵庫県洲本市山手2丁目1−42)
