峯五郎披
みねごろうひらく
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング385位
- 武人
平安
峯五郎披とは?
峯五郎披(?-?)は平安~鎌倉時代の武士。松浦直の子。兄弟に清らがいる。渡辺綱の子孫とされる肥前松浦氏に生まれる。兄・清が家督を継ぎ、他の兄弟はそれぞれに分家を起こし五郎披は峯と名乗った。この兄弟たち分家の子孫からさらに庶子が分かれ、やがて一族は肥前国(佐賀県・長崎県)で松浦党として勇名を馳せる武士団を組織する。五郎披は治承・寿永の乱に平氏方として出陣。一説には、平氏の敗北が濃厚になったため源氏に寝返ったともいわれている。合戦後は御厨庄の地頭に任命され、平戸の村里に城を築いた。1199年には鎌倉に出向き、源頼朝より所領の安堵状を得たと、松浦党一族・伊万里氏の家文書「伊万里文書」に記されている。平戸を拠点とし平戸姓を名乗っていた五郎披の子孫は、後に松浦姓に改名。五郎披は、戦国時代には惣領家をもしのぐ力を持った平戸松浦氏の始祖となった。 五郎披は黒嶋神社(長崎県佐世保市)や、鎌倉神社(長崎県佐世保市ほか)で祭神としてまつられている。五郎披は平戸の里城に居住し地域の開発に務めたとされ、鎌倉神社は五郎披が治めていた北松地方に数多く見られる。里盆地北の丘陵にある里城址には、現在は空堀のみが遺構として残されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
