平野国臣
ひらのくにおみ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩士(福岡藩)
江戸 [1828年~1864年]
平野国臣とは?
平野国臣(1828-1864)は、幕末時代の武士、福岡藩士、志士。福岡藩足軽・平野吉郎右衛門の次男。1845年に江戸勤番、1848年に福岡に帰国した。富永漸斎に国学を学び、尚古主義へと傾倒する。その後も江戸勤番などを務め1855年には長崎勤務となり、福岡に戻ってきた頃には烏帽子直垂や義経袴を着用するなど、当時としても珍しい風体だったとされる。国臣は小金丸彦六の養子であったが、養家はこの国臣の風体に迷惑し、離縁となった。その後、西郷隆盛らと知り合い、攘夷活動に奔走する。1859年の井伊直弼暗殺事件も国臣は事前に知っており、福岡藩庁に捕縛手配をされている。村田新八らの手引きにより薩摩に入ったが、浪人を嫌った島津久光に追い出された。また、久光が討幕に挙兵するとの噂を聞いて待ち受けていたが、久光にはそのつもりが毛頭なく、事を知った久光に逆に鎮撫されることとなった。その後、天誅組と合流し生野で挙兵。農民など2千の兵が集まったが、幕府の対応が早く国臣らは捕縛された。1864年、禁門の変で上がった火の手で囚人が逃げ出すことを恐れた役人たちによって30名以上の囚人とともに処刑された。享年37。 国臣の生家があった場所のそば、福岡県福岡市中央区にある平野神社は、国臣を主祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
平野神社
(福岡県中央区今川一丁目7番14号)
