平馬助忠正 神社の神様 - 神社ファン

平馬助忠正

へいまのすけただまさ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 武人

平安 [~1156年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 平馬助忠正とは?

    平馬助忠正(?-1156)は、平安時代末期の武将。桓武天皇11代の末裔、平将軍・貞盛から6代の孫にあたる讃岐守・平正盛の子で、平忠盛の弟であるが、兄弟仲は芳しくなかった。保元の乱に際して崇徳上皇側について戦って、敗れた。軍が散り散りになって逃げた後は、今の京都府長岡京市浄土谷の周辺で出家し山の深くに隠れていたが、為義入道も降参したとの話を聞きつけ、息子の長盛、忠綱、正綱、通正を伴い兄・忠盛の子である平清盛を頼って山を下った。叔父である忠正を斬ることはないだろうとの算段であったが、清盛は家臣に命じて忠正たちを六条河原で処刑した。清盛が伯父の忠正を斬らなければ、義朝が父・為義を斬らないだろうと踏み、あえて叔父を斬ったとされる。また、忠正の名は、当時の別当花山院中納言藤原忠雅と読みが同名で具合が悪いからと、忠員と改名した上での処刑であったという。この話は、保元の乱の顛末を描いた作者不明の軍記物語「保元物語」に「忠正、家弘等誅せらるる事」として記されている。忠正の所領は没収され院領に編入されたが、その所領は小規模な散在田畠を集積したものであり、受領を重ね巨万の富を得た忠盛に比べ極めて弱小であった。 忠正は廣岡神社(香川県仲多度郡まんのう町)で父・為義と共に祭られている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    ひろ岡神社
    (香川県まんのう町炭所東字新開643番)