平田靭負
ひらたゆきえ
- 歴史的人物
- 男神・男性

T/Y(CC 表示 3.0)
祭神ランキング1527位
- 家老(薩摩藩)
江戸 [1704年~1755年]
平田靭負とは?
平田靭負(1704-1755)は江戸時代中期の薩摩藩士。父は平田正房、母は島津忠守の娘。父正房の隠居により家督を継ぎ、第6代藩主島津宗信により家老に任じられる。琉球王国尚敬王の慶賀使の引率として江戸に登る。その後藩主宗信が帰藩したために江戸留守家となる。当時の幕府は交易などにより財力を強化しつつある薩摩藩を恐れて多額の出費を伴う木曽三川地域の治水を命じた。この治水事業は非常に困難を伴い、かつ莫大な経費を要する工事であった。薩摩藩内では露骨な幕府の弾圧に反発する声もあったが、結局は難事業を引き受け、靭負はこの困難な治水事業の総奉行を命じられる。工事は難渋を極め、派遣された薩摩藩士からは過労や疫病などによる死者や幕府への講義として切腹する者も続出し、薩摩藩士からはおよそ90名に及ぶ死者を出している。1年3ヶ月の長期にわたる工事を完成させ靭負は死去。公的な記録では病死とされているが、多くの死者を出した責任を感じ切腹したとも言われている。 靭負は岐阜県海津市にある治水神社に祭神として祀られている。靭負の治水事業にする後見と薩摩藩士の偉業を讃え創建された神社であり、国土安穏、除災招福、心願成就、家内安全などのご利益があるとされている。
ご神徳
除災招福 心願成就 家内安全 国土安穏
祀られている主な神社
治水神社
(岐阜県海津市海津町油島無番地)
