平資盛
たいらのすけもり
- 歴史的人物
- 男神・男性

狩野元信 - 赤間神宮所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 武人
平安 [1161年~1185年]
平資盛とは?
平資盛(1158-1185)は平安時代後期の武将。内大臣平重盛の次男であり、母親は二条院内侍である藤原親盛の娘。藤原師長に師事し琵琶、筝などの音曲を学ぶ。和歌においても「新勅撰和歌集」「風雅和歌集」「玉葉集」などにその名を残している。資盛が⒑歳の時に「殿下乗合事件」という騒動を起こしている。この騒動は藤原基房の牛車が通る際に資盛が下馬をせず礼を失したという事に起因する。基房らは資盛の無礼に対し馬から落とし恥辱を与えたが、この事に父重盛は激怒し基房を路上で襲撃し乱行を働いた。平家物語ではこの騒動が平氏の悪行の始まりとして記されている。また、資盛は高倉天皇の中宮平徳子に仕えていた建礼門院右京大夫と恋仲に遭ったとも言われ、平氏の隆盛を象徴する人物でもあった。しかし、木曾義仲が蜂起し戦闘に及ぶと平家一門は都を棄て西国に落ち延びる。その後平氏一門は源義経を総大将とした追討軍に追い詰められ、壇ノ浦の戦いで壊滅。資盛は入水の上自害をとげた。しかし、一方では壇ノ浦から奄美大島まで落ち延びたという伝承もある。 資盛は鹿児島県大島郡瀬戸内町にある大屯神社に祭神として祀られている。大屯神社の境内には資盛の墓碑が現存している。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
小松新三位中将こまつのしんさんみのちゅうじょう
その他
