平維盛
たいらのこれもり
- 歴史的人物
- 男神・男性

緑亭川柳(英雄百首)

歌川芳虎
祭神ランキング1003位
- 武人
平安 [1159年~1184年]
平維盛とは?
平維盛(1158-84)は平安時代の武将。平重盛の嫡男、母親の詳細は不明。平清盛の孫にあたる。維盛は「今昔見る中に、ためしもなき」と評されるほどの美貌の持ち主と言われ、後白河法皇50歳の祝賀の際には桜花をかざして青海波を舞い、その美しさから桜梅少将とも称された。源氏との間に騒乱が始まり、源頼朝らの挙兵に際しては平氏の東国追討軍総大将となる。駿河国富士川に陣を張ったが維盛率いる追討軍は士気が低く東国軍に対しては圧倒的に不利な状況であった。ある夜、水鳥数万羽が一斉に飛び立つ羽音を敵の夜襲と間違い総崩れとなって大敗した。わずかの手勢のみで京に逃げ帰った維盛に祖父清盛は激怒し京に入ることを禁じたと言われている。しかし、清盛が病没すると維盛は平氏の軍勢に戻る。木曾義仲の旗揚げに際しては平氏の討伐軍総大将として10万の軍勢を率いて出陣、しかし、倶利伽羅峠の戦いで大敗し京から落ち延びる事になる。その後、源氏の軍勢に追い詰められた維盛は後白河法皇に助命嘆願し鎌倉に下向する途中で病死したと言われている。 維盛は大阪市平野区にある瓜破天神社に祭神として祀られている。維盛はもともとは近隣の小松大明神社に祀られていたが明治時代に入り合祀された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
瓜破天神社
(大阪府平野区瓜破5-4-19)
