分部光信 神社の神様 - 神社ファン

分部光信

わけべみつのぶ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
分部光信

東京大学史料編纂所所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 大名

江戸 [1591年~1643年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 分部光信とは?

    分部光信(1591-1643)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。伊勢国上野藩2代藩主。近江国大溝藩初代藩主。分部家2代当主。父は伊勢の国人・長野工藤氏一族・長野正勝。関ヶ原の戦いでは富田信高へ人質として差し出された。1601年に家督を継ぎ、二条城や駿府城、大坂城、佐和山城の普請で功を挙げた。大坂冬の陣・夏の陣でも活躍して、1619年に徳川頼宣が紀伊国に入ると元は分部家領の上野藩領も紀伊徳川家領となったので、光信は近江国大溝2万石に転封された。1626年に徳川家光の上洛に従ったほか、1633年には幕府の諸国巡見使へと任命され、常陸国、陸奥国、出羽国、蝦夷島の松前など諸国を渡り歩いた。翌年には織田信長によって焼き討ちされた比叡山の復興を含めた造営奉行に命じられる。信長の甥である織田信澄が築城した大溝城の三の丸に陣屋を構え、藩内政では領民にも金子を分配し、藩校を開くなど善政を敷いたと言われている。1643年、病によってこの世を去った。享年53。 滋賀県高島市勝野の大溝城三の丸、光信の陣屋跡にある分部神社は、光信を主祭神として祀っている。陣屋の長屋門と、裏手には天守台跡がひっそりと残されている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    分部神社
    (滋賀県高島市勝野1669)