武田信広
たけだのぶひろ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 武人
室町~戦国 [1431年~1494年]
武田信広とは?
武田信広(1431-1494)は室町時代の武将。父親は若狭国(福井県)守護大名武田信賢。父信賢は弟である武田国信に家督を譲る際に、信広を子のいない国信の養子とする。しかし、国信に実施が誕生したために疎まれるようになった信広はわずかの家臣を引き連れて若狭を出奔した。信広は古河公方足利成氏、三戸の南部光政などの元に身を寄せた後に陸奥国(青森県)宇曽利に移住、南部氏より蠣崎の知行を許され蠣崎武田氏を名乗るようになった。その後、蝦夷地に渡った信広は道南十二館の一つ花沢館の蠣崎季繁の世話になり、気に入られた信広は季繁の娘を妻に娶る。婿養子となったために信広は蠣崎姓に改姓した。その後、蝦夷地において先住民のアイヌ人と和人の間で諍いが起こりアイヌ人はコシャマインを首領として蜂起、一時は道南十二館のうち十館までを攻め落とす勢いであった。しかし、追い詰められた和人を信広が再びまとめ上げ反撃に移ると形成は逆転し、コシャマインを討ち取りアイヌ人の蜂起は鎮圧された。この功績により蝦夷地での地を固めた信広はさらに版図を広げ一時は樺太まで勢力下に納めた。松前藩主松前氏の始祖と言われている。 信広は北海道松前郡にある松前神社に祭神として祀られている。松前神社は明治時代に入り信広の功績をたたえて創建された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
蠣崎信広かきざきのぶひろ
その他
