武田勝頼 神社の神様 - 神社ファン

武田勝頼

たけだかつより

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
武田勝頼

高野山持明院所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 大名

戦国~安土桃山 [1546年~1582年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 武田勝頼とは?

    武田勝頼(1546-1582)は戦国時代末期の武将。父親は甲斐国主武田信玄、母親は諏訪頼重の娘である諏訪御料人。勝頼の頼の文字は諏訪氏に代々受け継がれた通字であり、諏訪氏の跡目を継承させ信濃国の支配をより強固なものにしようとした父信玄の目論見と考えられる。そのため、勝頼は諏訪家の跡目を継ぎ諏訪四郎勝頼と名乗ったうえで高遠城主となる。しかし、武田家では信玄の嫡男義信は謀反の咎により幽閉され自害している。同じく次男は出家し、三男は幼くして亡くなっているために、父信玄は勝頼を武田姓に戻し武田家の後継者として甲斐に呼び戻す。その後、信玄は京を目指し勝頼らとともに進軍を開始、一時は徳川勢を打ち破り破竹の進軍を続ける。しかし、京に向かう途上で父信玄は病により死亡。一旦自国に引き退いた勝頼は再び東美濃、遠江国などへの侵攻を開始し一時は織田、徳川と対峙するが長篠の戦いでは織田信長に大敗を喫する。追い詰められた勝頼は新府城より落ち延びる途上で自害した。 勝頼は山梨県韮崎市にある藤武神社に祭神として祀られている。藤武神社は勝頼が最後の居城とした新府城跡に建立された神社である。勝頼が築城の際に祀った城内稲荷社が落城の際に焼失したが、江戸時代に入り徳川家康が家臣に命じて再興した。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    諏訪勝頼

    すわかつより

    その他