武田伊賀守以下411柱(天狗党の首領・武田耕雲斎および天狗党員411人の御霊) 神社の神様 - 神社ファン

武田伊賀守以下411柱(天狗党の首領・武田耕雲斎および天狗党員411人の御霊)

たけだいがのかみいかよんひゃくじゅういちばしら

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  • 武田伊賀守以下411柱(天狗党の首領・武田耕雲斎および天狗党員411人の御霊)とは?

    武田伊賀守(1803-1865)は江戸時代末期の水戸藩士。伊賀守は官位であり名は正生、耕雲斎とも呼ばれる。跡部正続の子であり、養嗣子となり跡部正房の家督を継承した際に武田と改姓した。第9代水戸藩主徳川斉昭の擁立に尽力した伊賀守は参政に任じられ、斉昭の尊皇攘夷運動を支える中心となっていく。水戸藩では2代藩主徳川光圀がまとめた「大日本史」がもととなる水戸学の流れをくむ藩政改革派が天狗党と呼ばれる存在となり、その首領が伊賀守であった。改革派の態度が居丈高であり鼻が高い態度であったことから天狗党と呼ばれるようになったという説もある。伊賀守を首領とした天狗党は尊王攘夷実現のために筑波山で挙兵、長州藩士桂小五郎らから資金援助を密かに受けていた天狗党の勢力は徐々に膨れ上がり、徳川慶喜を擁して朝廷に尊王攘夷を訴えるために京を目指した。しかし、幕府からの追討などにより越前に大きく迂回を余儀なくされ、その上頼みとした慶喜が幕府追討軍の指揮者であったことから加賀藩に降伏。天狗党は解体され伊賀守ら党員411名は斬首となった。 伊賀守ら411人の天狗党員は福井県敦賀市にある松原神社に祭神として祀られている。松原神社は伊賀守が処刑され埋葬された墓所の近くに明治維新後に創建された神社である。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。