武市半平太
たけちはんぺいた
- 歴史的人物
- 男神・男性

武市瑞山 - 京都大学付属図書館所蔵品(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 郷士(土佐藩)
江戸 [1829年~1865年]
武市半平太とは?
武市半平太(1829-1865)は江戸時代末期。土佐藩白札郷士武市正恒の嫡男であり、母親は大井氏の娘。武市家は農家であったが江戸時代中期に白札郷士に取り立てられている。江戸に出た半平太は桃井道場に学び、桂小五郎、久坂玄瑞、高杉晋作らの後に尊野攘夷運動の中心的役割を果たす長州藩士との親交を深める。同時期に江戸の千葉道場に学んでいた坂本龍馬らと共に土佐を一国勤皇の思想でまとめ上げることを目的とした土佐勤皇党を立ち上げ、土佐国では200名近い集団となった。勤皇思想に傾倒する半平太は、公武合体論者の参政吉田東洋を暗殺したうえ藩論をまとめ上げ上京を実現した。半平太は瑞山と名乗るようになり、天誅と称して反対派論者を次々と暗殺、攘夷派の志士の中で存在感を増すことになる。しかし、八月十八日の政変により政情は一変し勤皇派は衰退、公武合体を主論とする土佐藩主山内容堂により半平太は捉えられる。半平太は投獄された上、切腹となり再び京に戻ることはなかった。 半平太は高知県高知市にある高知縣護國神社に祭神として祀られている。容堂が明治維新の功労者を鎮魂するために建立した大島岬神社が昭和になり高知縣護國神社に改称された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
