布田保之助
ふたやすのすけ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし
祭神ランキング1527位
- その他
江戸~明治 [1801年~1873年]
布田保之助とは?
布田保之助(1801-1873)は江戸時代後期の人物。布田家は肥後国(熊本県)矢部郷の庄屋の家柄。76村からなる矢部郷は阿蘇の外輪に位置し交通の便には恵まれず土地は痩せ困窮していた。父親の職責を継ぎ総庄屋兼代官に就任した保之助は治水、利水、開墾事業に尽力し、天保の大飢饉の際にも矢部郷では飢饉の影響を回避することができた。しかし、矢部郷では依然として利水に問題があり安之助はやせた土地への灌漑を目的として用水に開発を手掛け、特に深い谷に囲まれた白糸台地地区では常に水不足に悩まされていた。この地区灌漑を目的として安之助は6km離れた笹原川から用水の引導を計画した。中でも連通管の原理により用水を橋の中を通す通潤橋の工事には難渋を極めたが保之助の指導のもと村人が一体となって完成に至る。谷を渡るこの用水によって新たに百町歩を超える新田が開発され水不足も解消された。 保之助は熊本県上益城郡にある布田神社に祭神として祀られている。布田神社は通潤橋の間近に安之助の功績を讃えて建立された神社である。安之助は地域への多大な貢献が認められ、明治に入り太政官より褒賞を賜り、大正時代には従5位を追贈された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
布田惟暉ふたこれてる
その他
祀られている主な神社
布田神社
(熊本県山都町長原219)
